究極超人あ〜る


米国ニューヨークにて1ヶ月間の研修と娯楽と生活と恐怖を経験して帰国した、1986年12月2日、

作者の仕事場のギターケースの上に、一枚のメモが置かれていた。「以前、取材でいらしたことの

あるKさんから、お仕事をお願いしたいので電話ください、とのこと」と、家人の早筆。これが、

漫画家ゆうきまさみさんとの出会いのきっかけであった。早速Kさんに電話をしたところ、ゆうき

さんの作品「究極超人あ〜る」に登場する、究極戦隊コウガマン、の歌を作っていただきたい、と

の御依頼。そりゃあ引き受けますよ!得意の分野だし、戦隊モノ、いっぺんやりたかったしね。

最初は、単発で詞のみを作品に挿入し、何かの予告みたいな感じで始めよう、が、あれよあれよで

イメージアルバム製作になり、コウガマンの歌は後回しにして、あ〜るの主題歌を録音、賑やかに

しようと「はっぴい・ぱらだいす」も製作、これは楽しかった!作詞が飛び跳ねていたので作曲も

奔放に突っ走った。同年内にVOL.2を製作、音頭あり、青春歌謡あり、今度こそコウガマンあり、

またもや「帰ってきてしまった、はっぴい・ぱらだいす」もあり。プロモーションビデオを撮影す

るというので、NY在住の際に購入した Philadelphia Phillies のスタジャンを衣装にして新宿西口

公園近くの歩道橋下に停めてあったワゴン車に乗り込んだ。スライドドアを開けると、後部座席に

ポツンと、かわいーい少女が座っている、作者「ん?この子は、誰かな?」、Kさん「あ、ご紹介

します、笠原弘子さんです、かわいいでしょ〜〜」、作者「かわいい〜〜、私作曲の、ーーです、

よろしくお願いします」、するとヒロコちゃん、袖が半分かぶっているゲンコの両手をくちびるの

前で合わせ「よろしくおねがいいたします」と、ピョコン。ああかわいいーー。

ドラマ編を含めて合計3カタログのあ〜るアルバムは販売数を上げ、横浜、熊谷、そして大阪など

でイベントを開催し、ワーナーパイオニアから、企画賞のトロフィーを授与された。これはいつか

面影橋に出品する。

三年が経過し、1991年の春 またしてもKさんの太い声が受話器に届く。「あ〜る が、劇場映画に

なります!」、作者にも馴染みのある、豊橋と辰野を結ぶ鉄道、飯田線が舞台で、その飯田線の歌

の創作を依頼される。依頼時の曲名は「飯田線のララバイ」であったが、作者一世一代の恋歌にし

たく、「飯田線のバラード」として発表。アニメ劇中、光画部員たちのゆったりとした電車風景、

車窓によりそう少女、そこに流れるこのラブソング。作者一世一代の恋歌になった。

このフィルムを持って、我々あ〜るメンバーは、「あ〜る夏祭り」と銘打って全国をイベント行脚。

主題歌、挿入歌を生演奏で歌い、トークもし、本編を全編上映。終了後はみんな揃っての打ち上げ

で、なにせ飲み代は主催社もちということで、北海道でぼたん海老の刺身は食うわ、九州で明太子

ラーメンはいただくわ、大阪では、地元出身ミュージシャンTさんの行きつけの鮨屋で、ごっつお

いしいまぐろやらぶりやらをくいだおれるわ(Tさんのおごり)、の大名行脚。

名古屋の会場・名古屋市公会堂には、母、姉、姪甥、を招待し、楽屋に通してえらそうにしたし。

仙台では、ニューヨーク・ブルックリンから来たお客様がいると聞いて、即興で短編の「ブルック

リン物語」をアカペラで歌ったり、作者の昔のファンクラブ「檸檬俱楽部」のひろみちゃんの車で、

メンバーが乗ったバスを「あっかんべー」で追い抜いて空港に向かったり。

会場で「究極超人あ〜る」を上映中、ミュージシャンもスタッフも、みんな舞台袖でスクリーンを

観た。なりはら博士が空を飛んで行く時、いっしょに「そうはイカのナントカだー」と小声で合叫

した。「飯田線のバラード」に合わせてハミングし、ラストのロールアップのバックに流れる、

「くちびるにメモリー」の最後、ノットソーロング アズアチェンジ を、笑顔で合唱した。