哀愁のラブホテル


楽曲「ひらけ!チューリップ」の制作発売の際、企画の段階で提供曲として有力な候補曲であった

「哀愁のラブホテル」。この楽曲の発表には少々、悲しい記憶がある。

まず PMP制作部から連絡があり、この楽曲を笑福亭鶴光の LPに収録したいが、詞の直しをお願い

したい、とのことで、とりあえず制作会議に赴くと、なんと、歌詞を全編書き変えてほしいと言わ

れ作者大困惑。「鶴光師匠らしく、明るい爽やかな、まるで幼稚園児が公園で遊んでいるような」

にしたいとのこと。それなら「哀愁」はどこに行ってしまうのだろう。作者粛々と答える「この歌

の意味をなくしてしまいますから、デモを引き下げます」、すると、制作部は、意外な案を打ち明

けた。「そうなるかと思っていました。しかしこの歌はメロディーがとてもいい、曲名も面白い、

なので、こちらで誰か他の作詞家を検討して、任せていただくのはどうでしょうか」。

デビューして1年そこそこの駆け出し作家、「うぐいすだに〜〜」を売っていただいた恩義も感じ

るし、発売すれば幾許かの収入も見込める。今考えればいかに浅はかであったかと悔やむのだが、

仕方なく、「では、原案・山本正之 とクレジットしてなら」と、イヤイヤに了解をしてしまった。

(後々、この「原案」には著作権上まったく効力が無いことを知る。)

それから3日ほどで書き変えられた歌詞があがって来た。早い。その歌詞を書いたのは、ニッポン

放送で笑福亭鶴光の番組を担当していたディレクターK。原稿に目を通した山本正之は、本当に、

本当に、己の蔑為を後悔した。すべてを取り下げればよかった、と。

レコーディングの日、やるせない気持ちでスタジオに向かい、オーケストラ録音の最中、調整室の

ソファで支度をしておられた笑福亭鶴光師匠の前に腰を折り、こう挨拶した。

「師匠、申し訳ございませんが、この楽曲は私の本意とは違う歌詞を制作され、承諾はしたものの

その内容にどうしても納得することができません、本日は、立ち会わず、これにて失礼いたします、

無礼をお許し願います」と。 

師匠は黙ってそれを聞き、「そうでっか、わかりました、いろいろありますわな」と応えられた。

後にも先にも録音の日に、事故でも疾患でもスケジュールの都合でもなく、ある感情を以って場を

離れたのは、この時と *「超攻速ガルビオン」の時だけである。

尚この LPレコードの見本盤は、他の盤のように発売元メーカーよりいただいたが、現在作者の手元

に存在せず、従って当ホームページの DISCOGRAPHY の項にも記載しておりません。

後年、作者が自身のアルバムを自主制作できるようになり、元々の「哀愁のラブホテル」を収録し

たくJASRACに問い合わせたところ、協会の記録上、作詞者はKにつき、山本正之先生の作詞の分

(原案扱いの元詞)につきましては、K先生に、まず、作品を抹消する届けを提出していただき、

この「哀愁のラブホテル」という楽曲を協会の記録から削除し、改めて、山本正之先生の、新作品

として登録していただくことになります。と案内された。 つまり、

最初に山本正之が「哀愁のラブホテル」を作詞作曲し、それをKが詞を全編書き変え、作詞Kとし

て PMPと著作権譲渡契約を交わし、それを PMPが日本音楽著作権協会に著作権者として届け出て

登録し、結果、楽曲「哀愁のラブホテル」の存在が、公的に記録された。 然して、

あの山本正之作詞作曲の「哀愁のラブホテル」は、この世に存在しない、いや、してはいけないの

です。理不尽といえばそうだが、JASRAC の見解は、確かに正しい。そこで私は考えました。

元の曲と同じような雰囲気の曲を新たに作り、それに元の詞を添えて「哀愁のラブラブホテル」と

題して著作権協会に登録しようと!。、でもまあ、裏ぶれた、妖しげな、ラブホテルの歌ごときに、

何を必っちゃきっているんだよ、ですね。

時は過ぎ、西暦2000年、「うぐいすだにミュージックホール2000」を制作することになり、

ニッポン放送のスタッフも25年の時間の中で総々様変わりし、若きディレクターの元、鶴光師匠

の番組にゲスト出演することになった。師匠と会うのは、あの「そうでっか、わかりました」以来

である。有楽町にあった局もすでにお台場に移り、作者は、ドキドキとスタジオのドアを開けた。

「やあ、せんせい、ひさしぶりでんな〜、なつかしゅおます」、なんとやさしい笑顔であったこと

か!。昭和五十年の夏「うぐいすだに〜〜」のヒットを受けて後発したレコード「怪傑鶴光仮面の

の唄」の録音後、関係者みんなでけっこう豪勢な食事をした後、鶴光師匠と肩を並べて、六本木の

アマンド脇の小径を歩いている時、師匠が「せんせい、いいお店におつれしますわ、ちょこっと歩

きまっせ」と信号を渡ろうとするので、作者「いやいやもうこの辺りで退散いたします〜」と遠慮

をしたところ、師匠「せんせい、なにゆうてまんねん、せんせいなんやから、もっと遊びなはれ、

さあさあこっちだす」と作者の肩を軽く押し、ネオンの中に溶け込んでゆく。瀟洒なナイトクラブ

で、ホステスさんたちに高級なお酒をつがれて、もう、竜宮城のようでした。


*「超攻速ガルビオン」の編曲の打ち合わせの時、間奏について、オーバードライブしたギターの

 ソロ(アドリブ)はもう飽き飽きしているから、絶対にソロにはしないで、編曲者が旋律を考え

 てくださいね。と念を押したのだが、録音当日、イントロ、ヴォーカルパートと進み、その後の

 間奏で、その日のギターが、あたりまえのようにソロ(アドリブ)を始めたのだ。

 その瞬間に作者は、黙ってスタジオを出た。