復活タイムボカンシリーズ


「逆転イッパツマン」の後のナンチャラマンが、途中終了してからも、私たちはボカンを愛し続け、

時には特別新作LD「タイムボカン王道復古」を製作したり、ラジオアニメ「平成タイムボカン」を

放送したり、また作者が自身のアルバムに「架空のタイムボカンシリーズ」の主題歌を収録して、

いつも、忘れてないぞ、続けているぞ、と、ファンの皆様に伝えてきた。そして2000年、やっと、

連続テレビアニメが復活。が、主題歌創作に本当に困った。ドロボーが主役なのだ。ずっと、正義

を主役に歌ってきたのに、ドロボーが主役なのだ。数日間の葛藤の後、霹靂と目覚めた。「そうだ、

ドロボーを悪にしなければいい。正義のドロボーにすればいい。」、あとはつらつらと書き染める、

2コーラス目に、正義のドロボーの真逆の、偽善のヒーローを歌い込んだ。この日本の、善良なる

人々の心を、偽善に誘(いざな)う、作家、歌手の、醜作の存在を訴えた。

この「怪盗きらめきマン」の主役は、作者の愛弟子・川上とも子。シリーズ復活に相応しい嬉しい

キャスティングである。とも子歌唱の「LIP STEAL」のバックスィングをできたことが、とも子と

の、二人の勲章である。

もうひとつの挿入歌「懐盗ドロンボー」の録音の日、スタジオロビーで小原乃梨子さんが、作者の

耳元に届けてくださった、やさしい声を忘れない。

「まーちゃんたちが、ずーっと続けて、守ってきてくれたから、この日があるのよ、」


その8年後、「ヤッターマン」がキー局を変えてリメイクされ、ボカンファンの期待に大いに応え

られた。まあ、主題歌の歌手のことでちょこっと騒いだが、却って何人かのニューミュージシャン

とお近づきになれ、また、アルフィーの高見沢さんとも、三十数年振りの再会を果たせた。そして、

こちらの局の良き「局プロ」には散々に、イタメシやらステーキやらワインやらをムッチャクチャ

おごっていただき、何より仕事がツーカーと進展した。それは彼が、作者と同郷の愛知県人であり、

また先述の<究極超人あ〜る>の項の書き出し部分、1ヶ月のニューヨーク生活の、ちょうど中頃、

彼と作者とで、ニューヨークからフィラデルフィア、ワシントン、ヒューストン、ナッシュビルと

共に彷徨した、米友であったからかもしれない。その翌年、今度は実写映画の「ヤッターマン」が

登場する。今をときめくスターの主役に、たくさんの人々が映画館につめかけてくれた。作者も、

日活スタジオにウキウキと足を運び、実物大のヤッターワンと記念撮影もできた。この映画の中で、

ドロンボーがインチキ商売をする回転すし屋は、その35年前、山本正之が「燃えよドラゴンズ!」

の歌詞を、その湯船につかって考えた、という逸話で有名な、世田谷中町「喜久の湯」の廃業直後

そして解体直前の、それであった。

新宿のコンプレックススクリーンに、日活から届いた招待券を持って家人と向かい、後方の座席に

腰を埋め、本編を鑑賞。自分の歌唱に乗って、ヤッターワンが走りまくる。試写会でも見てはいる

が、街の中の、映画館で、「ヤッターマン」を見ている自分が、なぜか非現実的で、気持ちの置き

所に迷ったが、エンディングロールが終わり、館内の灯りがすうーっと点った時、後ろにいた家族

のお父さんが、「おもしろかったねえ〜〜」と言うと、子供たちが「うん!おもしろかったーー」

と繰り返す。その時、きゅうーんと、胸に涙がにじんだ。「こんな現実があるんだ」と。

その後も、テレビやスクリーンから離れはしたが、パチンコ、スロットなどで復活を成し続けて、

山本正之は、新作「yatterman 正義に光る星」をゲーム機上にて発表し、後々、自身のオリジナル

アルバムでも、エンディング想定曲「スカ・ポン・タン狂想曲」を共に浪々と歌唱し続け、まだ尚、

このシリーズの再々再々復活を、望み続けている。、ただし、音楽は私にやらせてね。