タイムボカンシリーズ


昭和50年夏、ワーナーパイオニアにて、アニメ担当の浅野ディレクターを紹介され、竜の子プロ

の新作オリジナルアニメ「タイムボカン」の主題歌の作詞作曲を依頼される。東映時代劇鑑賞時期

より、月光仮面、七色仮面、少年ジェット、まぼろし探偵、のブーム期を経て、テレビ、映画の、

カッコイイ主題歌に憧れていた作者は、歓喜を以って受託。しかし、制作部の希望は、「おもしろ

くて、ちょっとズッコケで、そしてカッコイイもの」であった。締め切りまでの一ヶ月間、研究し、

悩み、熟考し、リミットの当日朝、主題歌・副主題歌を併せて書き上げ、六本木のワーナースタジ

オへ楽器持参で赴いた。竜の子プロの社長以下6〜8人のスタッフを前に、生演奏でデモ歌唱。主

題歌「タイムボカン」にはブルース、ブギウギをとりいれ、副主題歌「それゆけガイコッツ」は、

先例を考えず、ただ降りて来るものだけで創作した。その日はデモ歌唱のみで会議は終了し、数日

後、ワーナーより連絡があり、「先日の作品でOKが出たので、早速録音に入ります。ついては、

挿入歌もお願いしたいので、打ち合わせ致しましょう」と嬉しいご依頼。主題歌等録音後日、丹平

ちゃんと淳子ちゃんのデュエット曲「花ごよみ」、淳子ちゃんのエレジー「うしろ姿」、文字通り

「ペラ助のぼやき節」、そして追っかけ場面にと望まれていた「チュクチュクチャン」、この曲に、

東映時代劇鑑賞時期より、ナントカ仮面、少年ヒーロー、のブーム期を経て、いつか関わりたいと

願っていた「カッコイイ主題歌」の、自己独特のテーゼを吹き込んで創作。これが「ヤッターマン」

以降のシーリーズの、正に「テーマ」と成って行った。楽曲「タイムボカン」の、イントロのその

また出だしのクィ〜ン、は、魔人社の創作室にて編曲家と打ち合わせをしている時、隣の部屋から、

魔人社お抱えのバンド・十三海里(この頃アルバムを発表した、魔人社S君のバックバンド)の、

青(あおし)君のギターが聞こえて来た。出だしに悩んでいた作者と編曲家は、こりゃ、あおし君

にアイデアもらおう!と、ドアを開け、「ねえねえ、こういう曲なんだけど、キミならどう弾く?」

と尋ねたところ、「う〜〜〜ん」とひと唸りして、あの、クィーン、を弾き出した。なので、楽曲

「タイムボカン」のイントロの最初の1小節の2拍半までは、この青君のアイデアです(でもこの

頃はイントロには著作権はありませんでした・笑)。アニメ「タイムボカン」は大好評を得て、や

がてシリーズ化を決定させ、以後は読者御承知の如く、昭和ギャグアニメ界の金字塔、と称される

ようになりました。ありがとうございます。

第二作目「ヤッターマン」の主題歌はすでに歌詞が用意されており、それを「チュクチュクチャン」

の感覚を用いた音符構成に合わせるため、山本が、かけ声、擬音、サビ部分、もひとつかけ声等を

補作詞し、吉田竜夫社長以下スタッフの皆様に献上した。エンディングは前作の子孫という意味で

同じイントロにして聴感を揃えた。この「ヤッターマン」より編曲と劇伴共作のコンビネーション

が、神保正明先生に代わったが、前作のエンディングのイントロは、その編曲家ではなく山本正之

作曲の旋律であったため、全く問題なく、作業が成立した。

2年間の絶好調放送の後、シリーズは「ゼンダマン」に変わり、主題歌の作曲はもちろん、1作目

の主題歌、楽曲「タイムボカン」に戻って、作詞も当初から依頼され、創作作業に就くが、歌唱は

作者ではなく、そのデモの歌声を聴けば、ゆるやかで甘い。従って、ヤッターマンとは雰囲気を変

え、あの頃よく街に流れていたエキゾチック歌謡曲の雰囲気を混ぜ入れた。この録音の日、歌手の

事務所とキーの行き違いがあり、直前に録音完了していたオケのキーが高く、その場の判断で回転

を落とし半音低く回して歌唱をお願いした。それが却って好結果を呼び、回転を元に戻してプレイ

バックしてみれば、なんとも、エキゾチックではないか。この時の歌い手さんには合点がいかなか

ったかも知れないが、作者は満足している。他に、挿入歌「救援メカのうた」の録音については、

スケジュールの都合で立ち会いに行けなかったが、この少女の歌声、だいすき。ねもとあゆみさん、

お疲れ様でした、と、今ごあいさつ致します。

やがてシリーズは「オタスケマン」に変わり、主題歌の歌唱も、山本まさゆきに戻った。創作する

にあたり、企画書の内容が少なく、善悪のキャラと、アシカやキンタの「7つのメカ」があった。

1週間、毎夜オタスケマンのキャラを見こらして、胸の星のマークからついに、あの名フレーズが

喉を突き押した。「キラッキラッキラッキラッスタースター」キャラクターデザインを机上に置き、

ひたすら「キラッキラッーー」と両手を動かす(ライブ会場でお客様がしてくれるアレ、です)。

空の彼方から〜の本編ができたのは、翌々日の明け方だったかなあー。ゲキガスキーの美役でアフ

レコにも参加し、収録後は毎夜宴会で、随分と酒量が増えた。この頃からが、このシリーズの円熟

期だったと思う。そしてその円熟期は、イッパツマンまで続いてゆく。

次作「ヤットデタマン」では、また歌唱が変わり、曲調はロックのシャウトをイメージし、作り出

しはとりあえず英語で考えた。far a way  to end of  far a way  みたいな。予定の歌手にどうも

乗りきれず、ビクターのデイレクターにお願いして、その頃知り合ったロックグループのデモを聴

いてもらい、そのディレクターの意を翻させた。編曲もポップなアレンジャーに担当していただき、

スタジオミュージシャンもロック系の人に。挿入歌も楽しい歌をたくさん作り、ピンクピッギーズ

のデビューで、それが百倍楽しくなった。「ディスコ・ダイゴロン」で作者は、行司と呼出の役を

受け持ったが、当時すっごく強かった関取の名前を入れられず、仕方なく「ーーのふじぃ〜」と名

乗りをあげて、みんなでウケたなあー。アニメ本編のラスト間際の「だいげきどおおおおーー」に

なだれ込む直前の、さんあくたちのエセ芝居が、シリーズ中でいちばんスキかもしれない。オンエ

アーを、喝采とともに観た。

そして、「逆転イッパツマン」にて、鈴置洋孝と出会う。最初の何話かは、むっつりしていて、そ

のうち作者が愛知県出身と知れると、ちょこちょこ名古屋弁でしゃべりあい、やがて、燃えドラの

作者と知れたその日、収録後鈴置が「飲もみゃー」と誘ってくれて。その日彼は車でスタジオ入り

していて、まずその車を戻しに青山かどこかに行ってから、タクシーで迎賓館近くの寿司屋に連れ

ていってくれて、そこでいきなり大酒を飲んだ。その日から鈴置とは大仲良し。シリーズ終了後も、

うちにキーボード(楽器)を習いに来たり、いきつけのスナックでプライベートコンサートをやる

というので、マーチンを貸してあげたり。逆に、声優になりたいという私の弟子を預けてレッスン

してもらったり、劇団の女優さんの口説き方を習ったり。中日が、優勝した日の夜更け、足をふら

つかせながら、我が家を訪れ、「おめでとお」と、背中から赤ワインを抜き出して栓を開けたり。

イッパツマンは、鈴置と、そして、富山敬さんのことで、想い出がいっぱいだ。

この主題歌歌唱は、山本まさゆきに戻り、しっかりと山本節を歌い上げた。それが最後であった。

イッパツマン終了間近、竜の子より、次作はエンディングと劇伴をお願いしますと伝えられ、主題

歌が違うのであれば、すべて無しで。と、仕事をお断りしたが、竜の子より、イッパツマンからの

局プロ交代事情による雑々悶々を聞き、そういえばその局プロがイッパツマンのEDの録音に参じて、

「タイムレコーダーは、古いんじゃねーの?、いまどこも使ってねーだろう」と注文をつけ、慌て

て竜の子のプロデューサーが「実際に話に出てくるんですよ」と説明したことを思い出し、「それ

は大変ですね、わかりました」と、依頼を引き受けた。 さて、次作のED「どびびぃーんセレナー

デ」の録音時、その局プロが作者の原稿にまたもや「イチャモン」をつけてきた。「踏み越え乗り

越えオーバーザレインボー」で、「意味わかんねー、変えてよ」。作者が呆れてポカーン状態にな

っていると、その時、オープニングの関係者(この日、OP とED を並べて録音した)が口を挟み、

「だったらこうしたらどうですか?踏み越え乗り越えーーー」と代案を提案した。この案は局プロ

もお気に召さず、約1分ほど、スタジオ内が沈黙した。作者答える。「よそのお店の人は黙ってて

くださいね」。その後局プロも、黙った。 何より、オカシ、かったのは、終了後スタジオを出た

ら大雨、雷雨。エントランスの屋根の先で、ビクター担当ディレクターが、局プロに傘をさしかけ

てタクシーを待っている。作者「あ、Nさん、おつかれさまでしたー」、Nさん「先生、おつかれ

さまでした」、局プロ無視。そこへ、黒塗りのハイヤーが雨を分けて到着、局プロが一歩足を出す、

ハイヤーがドアを開ける、その時、Nさん、局プロ様にさしかけていた傘を、作者の頭上にまわし、

「先生、車、来ました、どうぞ」。作者「ああ、ありがとうございます」。

ここで、私のファーストタイムボカンシリーズは終了した。